小さな不幸せ
またやってしまいました.やるやらないの話で自分に言い聞かせたはずなのに.いろんなことのはじまりが目に見えるようになってきたし,友達も多くできたし,授業もほとんどは楽しいし,大局的にはとても幸せなはずが,今非常に憂鬱です.やっかいな事に足をつっこんでしまいました.やっかいな人と関わりをもってしまいました.放送禁止用語でしか表せねーよ.僕はなぜ何度も,片足を突っ込んだ時点でこの沼がまずいことに気づいておきながら,その足を引っ込めるのではなく逆の足を差し出してしまうのでしょうか.沼の底からは昔の僕の骨がごろごろ出てくるはずです.
このままだと相当努力をしても口汚く罵られるのは目に見えています.とりあえず前期,つまりあと3ヶ月くらいは逃れられないのですが,ヘラヘラを極めたる僕からすれば何の苦でもありませんしむしろ笑い話の種になり嬉しいことですと思うのか,思うのか.はたまたそんなことを考える価値もない,などとメタっておく(階層は下のようにも思えますが)のもありだと思っています.
浪人中に色々な思いつきをメモしていました.その中でこの話と似ているように思えるものがあるので一応.
人が日常的に迫られる選択は一般に想定されるべき,道の先が二又,あるいは三又に分かれているといったようなイメージのものとは全く異なると思います.
往々にして板の側面に不安定に立っていておっとっと状態,前か後ろかに落ちてしまうというようなイメージです.
今となってはこれが何の比喩なのかはわかりませんが.おそらく乗らなければならない電車が来るのを確認しながらもまだでないだろと思ってちんたら歩いていると乗り遅れてしまった後とかに書いたものと思われます.
メモの中で一押しがこれ.
ポップコーンをじっとみているとある瞬間から何かの頭蓋骨にしか見えなくなってくる
これはぜひ検証してエントリにしたいです.